40代の違和感を、「これから」の入口に

仕事は順調で、家の中にも大きな問題はありません。
それなのに、ふとした瞬間に、小さな「あれ?」が顔を出す。

たとえば、休日の朝。コーヒーを淹れながら、来週の予定を思い浮かべる。どれも大切な用事で、やめたいものはひとつもない。それでも胸のあたりが、ほんの少しだけ静かになる。

不満と呼ぶほどではない。悩みと言えるほど、はっきりしているわけでもない。だから誰かに話すこともなく、「疲れているだけかな」と、そっとしまい込む。

もし少しでも心当たりがあるなら、この記事を、あなたのそばに置いてもらえたらと思って書きました。

もくじ

大きな問題がないのに、なぜ違和感は生まれるのだろう

40代になって、こうした感覚に出会う人は少なくありません。

仕事では責任が増え、子どもは成長し、親の老いも見え始める。
身体にも変化が起こります。これまで大切にしてきた価値観が、少しずつ合わなくなることもあるでしょう。

そこで、ひとつ問いを置いてみます。
問題が見当たらないのに生まれる違和感は、消したほうがいいものなのでしょうか。それとも、何かを知らせているのでしょうか。

違和感は、不満や不安とは違う

違和感は、不満や不安と混ざりやすい感覚です。けれど、少し性質が違います。

不満は「何が足りないか」がはっきりしています。不安は、意識が「この先どうなるか」へ向かいます。一方、違和感が伝えるのは、「今の自分の感覚と、目の前の暮らしのあいだに、わずかなズレがある」ということだけ。原因も、答えも、まだついていない状態です。

そのため、違和感を「解決しなければならない問題」として扱おうとすると、うまくいかないことがあります。理由を探しすぎて疲れてしまったり、「やっぱり気のせい」と打ち消したり。

キャリアの相談を受けていると、「大きな不満があるわけではないのですが」と話し始める方に、たびたび出会います。そのとき私は、違和感を、何かを変える理由としてではなく、自分の感覚を確かめる入口として扱うようにしています。変えるか、変えないかを考えるのは、感覚を確かめたあとでも遅くありません。

「人生の正午」という視点──向かう方向が、変わる時期

スイスの心理学者カール・ユングは、人生を一日の太陽の動きになぞらえ、40歳前後を「人生の正午」と呼びました。キャリアや中年期を考えるときに、今も参照されることの多い考え方です。

ユングによれば、人生の午前は、社会の中で通用する自分をつくる時期です。役割を担い、期待に応え、「何者かになる」ことに力を注ぎます。ところが午後に入ると、午前と同じやり方では進みにくくなり、前半のあいだ脇に置いてきた自分の一面を見つめ、取り込んでいくことが課題になると考えられています。

ユング自身は、この転換を「危機」と呼びました。ただ、taologyでは、衰えや危機としてではなく、「これまでどう生きてきたか」から「これからどう生きたいか」へ、視点が移り始める合図として捉えたいと思っています。午前と午後に優劣はなく、向かう方向が変わるだけ。そう考えると、違和感は、これまでの自分を否定するものではなく、午後の入口で、内側が発している小さな知らせなのかもしれません。

なお、これは実証データではなく、ひとつの理論、ものの見方です。ユングが想定した年齢も、寿命や働き方が変わった現代では、そのまま当てはまるとは限りません。あくまで、自分を眺めるための補助線として、手に取ってみてください。

研究からわかること、わからないこと

もうひとつ、データの面からも見てみます。

経済学者デイビッド・ブランチフラワーは、145か国のデータをもとに、年齢と主観的な幸福度・満足度の関係を分析しました (Journal of Population Economics、2021年)。その結果、幸福度は年齢に対してU字を描き、いちばん低くなる年齢が50歳前後にくる傾向が、先進国でも途上国でも確認されています。

ただし、注意したい点があります。これは多くの人のデータを平均した傾向であり、あなた個人に当てはまるとは限りません。「40代は不幸な時期」という話でもありません。また、この研究が扱っているのは幸福度などの指標であり、違和感そのものを調べたものではありません。

それでも、こう受けとめることはできます。人生の中盤で立ち止まりたくなる感覚は、あなただけの特別な問題ではないのかもしれない、と。

違和感を大切にすることと、現実を生きることは、両立する

違和感に気づいたからといって、仕事や家庭の責任を手放す必要はありません。仕事には責任があり、生活にはお金が必要で、家族にはそれぞれの人生があります。

大切なのは、何を選ぶかより先に、「今、自分はどんな状態にいるのか」を知ること。その結果、今の仕事を続けようと思うことも、暮らし方を少し整え直すことも、どちらも自己調律のひとつのかたちです。

私の場合は、どうだろう

少しだけ、立ち止まってみませんか。答えは出さなくて大丈夫です。

  • 最近、「あれ?」と感じたのは、どんな場面だったでしょうか
  • そのとき、身体のどこかが反応していなかったでしょうか(胸、みぞおち、肩、呼吸の深さ)
  • 頭の中で、「やるべきこと」ばかりを数えていなかったでしょうか

小さく整える:一行だけ、書きとめる

今週、ひとつだけ試してみてください。

違和感を覚えたら、その日のうちに、一行だけメモに書きとめます。書くのは、「いつ」「どこで」「身体のどこに」だけ。理由も、解決策も、名前づけも要りません。たとえば、「水曜の会議のあと、胸のあたりが重かった」。それだけです。

書く前に、ゆっくりと息を吐くことを一度だけ。

一週間後に読み返して、結論を出す必要もありません。自分の内側に、こんな感覚があったと知っておく。それだけで、頭で考えてきたことと、身体で感じてきたことのあいだに、小さな余白が生まれます。

違和感は、答えではなく、入口

違和感は、何かを決めろと迫るものではありません。まだ言葉にならない、自分の内側からの小さな知らせです。

扉を開けてみるのか。しばらく眺めているのか。あるいは、今いる場所で、静かに続けていくのか。それを選ぶのは、あなた自身です。

今日の「あれ?」に、少しだけ耳を澄ませてみるとしたら。あなたの内側は、何と言っているでしょうか。

こうした小さな気づきを、これからも、そっと言葉にして届けていきますね。
また、お立ち寄りいただけると嬉しいです。

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