数年前、ある役割を任された日のことを、今でも覚えています。
チームをまとめる立場になってほしい、と言われたとき、まっ先に浮かんだのは、小さな戸惑いでした。「リーダー」になりたいと思ったことは、一度もなかったからです。
けれど、断る理由も見つかりませんでした。
会社員である私にとって、「期待に応える」ことは、「言われたことは、何とか上手くやる」ことと、ほとんど同じ意味だったからです。
だから、引き受けました。
見過ごしていた、小さな違和感
新しい役割は、私ならうまくやれると、そう思われていたから舞い込んできた話でしたが、現実はそうではありませんでした。
これまで「チームのひとり」だった私が、「チームをまとめる人」になった途端に、周りからの評価が変わりました。
これまでと同じように仕事に取組み、同じように会議で意見をまとめ、周囲の相談に乗り、期待に応えていたつもりでした。
「リーダーとしての仕事ができていない」「これまでと同じでは意味がない」「あなたは全然できていない」、そんな言葉を浴びせられる時期が続きました。
ある日ふと、自分の中に小さな違和感があることに気づきました。
「私は今、この役割を、本当に生きたいのか」
ふと聞こえてきたこの声により、これまであまり意識してこなかった感覚に、初めて触れた気がしました。
ただ目の前の仕事に一生懸命向き合っていたつもりが、限界を迎えた心が「声」を届けてくれたのだと思います。
なりたくなかった役割を、生きないとならない時期もある
なりたくなかった役割を生きる。
短いようで長い人生の時間において、そんな時期もあるかもしれません。。
「こんなこと本当はやりたくない」
「〇〇だったら良かったのに」
そんな風に思いながらも、私たちは皆、毎日を一生懸命に生きています。
特に責任感が強い人ほど、期待に応えることを選びやすいものです。私も無自覚ながらも、周囲から「偉いね」「頑張るね」「努力家だね」と、そんな声をかけられがちな性格をしています。
だからこそ、気づきにくいのかもしれません。
「違和感」に。
キャリアに関する研究では、役割に自分を合わせ続けることと、役割の中で自分の感覚を保ち続けることは、別のこととして扱われることが多いようです。
前者は、周囲の期待という外側の基準に、自分をそのまま委ねていく状態。後者は、外側の基準を受け止めながらも、内側の感覚を手放さずにいる状態です。
この二つの違いは、大きな決断の場面よりも、日々の小さな選択の積み重ねの中に、静かに現れてきます。
「今日はここまで引き受ける」
「これは、まだ自分の言葉で説明できない」
そうした、ささやかな判断の連続の中に。
役割と、自分の輪郭が重なっていくとき
役割そのものを、否定する必要はありません。管理職であることも、誰かを支える立場であることも、親としての役割、家庭の中で担ってきた役割も、それ自体は悪いことではありません。
問題は、役割と自分自身の輪郭が、いつの間にか重なりすぎてしまうことのほうです。役割を演じているはずが、気づけば、役割のほうが自分になっていきます。
そうなると、役割を降りた後にも、「では、自分は何者だったのか」という問いだけが残ることがあります。
こうした問いは、20代や30代のうちは、あまり浮かんでこないのかもしれません。目の前の役割をこなすことに、精一杯だからです。若いうちは、様々な「役割」を経験する中で、経験値が高められ、社会人として成熟していきます。
けれど、働き続けて10年、20年と経ち、いくつもの役割を重ねてきたころ、ふと立ち止まる瞬間が訪れることがあります。
これまでの自分の選択を振り返り、「そういえば、これは本当に自分で選んだのだったろうか」と、静かに問い直したくなる時期。
40代という年代は、そうした問いが自然に浮かびやすい時期の一つなのだと思います。
あなたの場合はどうですか?
今、担っている役割の中に、「これは自分で選んだ」と思えるものは、どれくらいあるでしょうか。逆に、「気づいたら、そうなっていた」役割は、どれくらいあるでしょうか。
これは、仕事の役職だけの話ではありません。家庭の中での役割、友人関係の中での立ち位置、長く続けてきた生き方そのものにも、同じ問いは静かに当てはまります。
役割の中にいる「自分」に、気づくということ
もし今日、その役割からほんの少しだけ意識を離してみるとしたら、どんな時間を過ごすでしょうか。
答えを出す必要はありません。
ただ、椅子に座ったまま目を閉じて、三回だけ、ゆっくり呼吸をしてみてください。
息を吸うとき、胸がわずかに広がる感覚。吐くとき、肩の力がすこし抜ける感覚。それだけでいいのです。
役割を降りることではなく、役割の中にいる自分の状態に、ただ気づくこと。名刺の肩書きも、周囲からの評価も、そのままでいいのです。
変える必要があるのは、役割そのものではなく、役割と自分の間にある距離の感じ方です。
それが、今日できる小さな自己調律になります。
なりたくなかった役割を、なりたい役割に変える必要はありません。役割を辞める必要も、今すぐにはありません。
ただ、その役割を生きている自分の感覚に、時々戻ってくること。
そのことだけは、誰にも代わってもらえないのです。
こうした気づきを、これからも少しずつ言葉にして、ここに残していきたいと思っています。よければ、また遊びに来てください。
